2015年12月25日金曜日

塔の上のラプンツェル

主題歌 "I see the light" が名場面すぎて、二人が手を取りあってデュエットした瞬間はぞわっとした。男と女に確信が満ちる。物語に必然が宿る。美しい音楽と映像。パーフェクトだ。

「私も渡す物があるの。もっと早く返さなきゃいけなかったけど、なんだか怖くて。だけどね、今はもう怖くない。なぜかわかる?」

ラプンツェルは、好きになってしまったゆえの不安を打ち明けながらも、ユージーンの愛を疑わない。可愛らしくて強気な告白。真っ直ぐ見つめながら伸ばした彼の手は、差し出されたティアラの入った鞄を優しく下げる。

「わかる気がする」

完璧に通じ合う二人。

独り塔の中から憧れてた外の世界。
ずっと見たかった誕生日に空を飛ぶ光。
夢を叶えた特別な夜。

二人を巡り会わせた美しい景色は、本当の親である国王夫妻と国民が飛ばしていた無数の灯篭の明かり。ラプンツェルの無事を祈り、帰りを願う人々の輝きだった。

いい大人がキュンキュンした。

TSUTAYAで借りて家族でハマり、妻がAmazonで買った『塔の上のラプンツェル』
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ
音楽アランメンケン 2010年公開

2015年12月18日金曜日

北風と太陽

皆大好きイソップ寓話『北風と太陽』。私も証券会社に入ったばかりの頃、営業の心得として上司から聞かされた。

北風と太陽が言い争いを始めた。どちらも強いのは自分の方だと譲らない。
じゃあ勝負しよう。男のマントを引き剥がした方が勝ちね、と北風。でも全然上手くいかない。
今度は私の番だ、と太陽。
ギラギラと照りつける。これはたまらん、と長靴を脱いでも上着の袖を捲っても暑い。
ジリジリと背中を焦がす。男はもう我慢出来ない。木陰で一休みしようとマントを脱いで草の上に置いた。
「私の勝ちだね」と太陽は言った。
「ね、わかっただろう。人は力より、優しさに心を動かされるものなんだよ」

なんじゃこりゃ。優しさがどこにある。俺のが強いぞーって自己顕示欲のまま力技使って的外れな説教かよ。

もしポカポカと心地よい暖かさで男の服を脱がせ、「人の思いを理解するのも強さだよ」と勝ち負けなしに北風に微笑んだら、さすが太陽〜ってなったのにね。

志津図書館で借りた『きたかぜとたいよう』
絵バーナデット 訳もきかずこ
西村書店 ISBN4-89013-858-7

2015年12月16日水曜日

マッチ売りの少女

もしも少女が「マッチを買って下さい」ではなく「誰か助けてください」とお願いしていたら、寒空の下で死ぬことはなかったのではないだろうか。

そんな鋭い指摘を『マッチ売りの少女を殺したのは誰か』という坂爪圭吾さんの記事で見かけ、原作を丁寧に翻訳した絵本を探して読みたくなった。

降雪の大晦日なのに壊れた窓を修繕できない生活。暴力を振るう父親。逃げた母親。唯一自分を愛してくれたおばあちゃんは死んだ。絶望的な家庭崩壊と孤独がさらりと示されている。

あぁ、少女は、生き永らえたいと思わなかったんだ。あまりに恵まれなさ過ぎた。その小さな人生は、少女に、生きたいと思わせることが出来なかったんだ。

大好きなおばあちゃんの幻を、マッチ全ての灯で引き留めたかった。幻が消えるなら、祖母のいる世界へ私も一緒にと、生命力の全てを以て懇願した。少女は幸せそうな美しい微笑みを浮かべて逝く。

目を閉じて「おやすみ」と祈りたくなる物語。

志津図書館で借りた『マッチうりのしょうじょ』
作クリスチャン・アンデルセン
訳やなぎや けいこ 絵アナスターシャ・アルチポーワ
ドンボスコ社 1996/10/1

2015年12月10日木曜日

「平穏死」のすすめ

介護資格を取りに通っていた頃。ある日の講義の合間、特養で働くベテラン女性講師に「今日読み終わったとこなの。おすすめだよ」と手渡された本が『平穏死のすすめ』でした。

著者の石飛さんは、長年続けた血管外科医を引退して、世田谷にある特養芦花ホームの常勤配置医として働き始めた。しかし胃ろうをはじめとする延命ありきの医療・介護によって、老衰の終末期を迎えた体に不自然な負荷と苦痛を与えてしまうことに根深い問題を感じる。職員と利用者の家族の心に寄り添いながら、関係者の本当の願いと怖れに向き合う対話を重ねていく。医師としての経験を背景に、施設改革の経緯と看取りの事例を挙げながら、ターミナルケアのあり方を問いかける。

「医療技術の進歩と延命主義による自縄自縛の悲劇をそこに見た思いでした」

自身のオペの訴訟体験も述べつつ、医療の現実を語る言葉は真に迫る。今働いている老健でも十冊購入して職員の間で読み回しています。

千葉市の特別養護老人ホーム勤務の女性介護士に借りて
後にAmazonで購入した『平穏死のすすめ』
石飛幸三著 ISBN978-4-06-577464-2

娚の一生

好みの分かれる漫画だと思う。

主人公のつぐみや海江田さんに共感できない人もいるだろう。三巻のストーリー展開に無理があると思うのは、私だけではないはず。

でも、なんだかんだで私はこの漫画が好きだ。それはやっぱり、つぐみの硬く縮こまってしまいがちな心をなかば強引に引っ張っていく海江田さんに、まんまとほだされてしまうからだと思う。(もちろん口説かれているのは私ではないけれど)

強引さが魅力の男性を描く漫画は少なくないが(代表的なのは『花より男子』道明寺だろう)、海江田さんは52歳の哲学教授。

大企業の課長、でも恋愛は失敗ばかりのつぐみに「結婚しよ」と迫る…が、「幸福論は専門外」と言い切る海江田さん。年齢と人生経験を重ねていて、つぐみの沈みがちな気分のさばき方が絶妙。でも、妙に子どもっぽいところもあってそれも微笑ましい。

まぁ現実で夫にしたいかというと必ずしもYESではないけれど、そこは漫画、浸りましょう。

an・anの紹介記事で知った娚の一生』
西炯子 作 全四巻
written by ちゆき

2015年12月8日火曜日

ムーラン

ディズニーが初めてアジアを舞台にしたということで当時話題になりました。ヒロインはお姫様じゃないし、恋愛要素は隠し味程度。アナ雪やアラジンのように華やかな映像と音楽で魅了する代表シーンはない。でもホントいい映画です。
妻曰く、
「ムーランはあなたの言葉で言うと『重んじる心を重んじる』。大切な人が大切にしている価値観を、大切にしようとして苦しむ。でも逃げない」

「最初の動機がお父さんのため。家族のため。ムーランの勇気は応援したくなる」

「ディズニー作品のヒロインで最も自立してると思う」

「このケチな私がDVD買うなんてよっぽどだ」

確かに何度見ても飽きない名場面ばかり。
特に父親と再会したシーン。ムーランから手渡された名誉の証を地面に放り投げて言う。

『今の私にいちばん大切なのは、娘のお前を抱きしめることだ。心配ばかりかけおって・・・』

『ごめんなさい、父さん』

この抱擁は格別に美しい。物語の全てを見事に結ぶ。

妻がAmazonで買った『ムーラン』
ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ 1998

2015年12月5日土曜日

十五歳の残像

江國香織の著名人インタビュー集『十五歳の残像』を読み終えた妻が、この人の話はきっとあなた好みだよって教えてくれたのが、絵本作家の五味太郎さん。

「女房のために一生懸命働いてるんだよ、っていう言い草が通るようじゃ、いつまでたっても楽な社会はこないよね。つまり、正義がつらぬける社会ってことだけど。だってそんなの嘘でしょ。当人のためでしょ。少なくとも、女房子供を食わせたいという自分の欲望のためでしょ」

妻よ、わかってるね。

彼の言葉をネットで拾ってみた。

「ガキからの反応がいけているわけさ。こいつらに受けたら大丈夫みたいな感じがあるわけさ。だって、あの人たちつまんなくなると捨てるからね。大人はもとを取ろうとか、あるいは文句、評論してやろうと思うけどさ。でもガキは単純だから一番きつい読者で、奴らに最後のページまで滞りなくめくらせたい。それだけは絶対にやりたいって思う」

30過ぎだけど読みたくなったよ。

妻が志津図書館で借りた『十五歳の残像』
江國香織著     ISBN-13: 978-4103808046

2015年12月4日金曜日

ノルウェイの森

「ねぇ、ワタナベ君、私とあれやろうよ」と弾き終わったあとでレイコさんが小さな声で言った。
「不思議ですね」と僕は言った。「僕も同じこと考えてたんです」

レクイエムのシーンが好きです。あの場面で主人公がレイコさんと寝たのは、物語の中で一番意外で、一番素敵な理由だと思ったから。

直子の、生きようとした願い。ワタナベ君の、直子を外に連れ出して暮らしたかった願い。レイコさんの、二人が幸せに結ばれて欲しいという願い。それらは叶わなかったけども、二人を見届け抜いたレイコさんだからこそ直感した。

濡れなくてセックスできないことが、外の世界と繋がれないことを象徴したまま、死を選択するしかなかった直子のために。その悼みを全身で抱く二人として、セックスしたい。それは贈り物であり、この物語への純粋な慰めなのだ。

再生の転換はレイコさんにあった。直子から緑へじゃない。それが示されたあのラストでいいんだと思うよ。

妻の母からもらった『ノルウェイの森』(下巻紛失して買い替え)
村上春樹著 ISBN 4-06-274869-X

はだかの王さま

「王様は裸だ」
この一言で世界中の人が何の物語かわかる。凄いよね、誰もがどんなシーンかばっちり想像できるんだもの。だからみんな引用する。19世紀の童話作家アンデルセンが描いた『皇帝の新しい服』は、今の大人たちがこぞって、本や歌詞や社会記事のなかで「裸の王様」という喩えに使っている。私も自分のブログで使ったことがある。だって使いたくなるんだもの。実は大人向けなんじゃないか。子どもに読み聞かせようとすると、大人社会のリアルをえぐられて、大人こそが痛快。そこには時代も文化も超えて共感されてきた人間らしい問いとユーモアがあるのだ。

”自分の地位にふさわしくない愚か者には見えない服”
着たフリをする王様。見えるフリをする大臣、召使い、民衆たち。
王様を裸にしたものは何だろう。

もし王という『衣装』と同化することでしか、人間関係の喜びを体験させて貰えなかったのだとしたら、私もその幻想に執着したでしょうね。

志津図書館で借りた『はだかの王さま』
アンデルセン作  ISBN 4-924330-07-8
ドロテー・ドゥンツェ絵 ウィルムヘル・きくえ訳